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レンダリングシステム:油脂製品とは


日本食文化の特徴と歴史的位置づけ

行燈 人間が油脂を利用し始めたのは、採油の難しい「油」より「脂」のほうが早かったといいます。捕獲した動物の脂肪が燃えることを発見し、それを明かりに利用した痕跡が石器時代の洞窟に残されています。食用のために獣を狩り、その脂肪層を石皿の上で溶かしながら、明かりにしたのでしょう。つまり、人類の油脂利用の歴史は、火の発見に次ぐほど古いものだといえます。

 狩猟民族にとって、自然に手に入れるこのできた動物性の油脂にくらべて、植物からとる植物性の油脂は、油を取り出すのに技術が必要なため、利用が遅れました。それでも旧約聖書にはすでにオリーブ油の記録が随所に見られます。

 日本では日本書紀に「はしばみ」の実から油を採り燃やしたという記述があります。ただし、食用として採取するようになるのは、家畜の飼育が始まった頃からだと考えられます。 


■油脂の調味料としての性格

 油のもつ「うま味」の根拠については謎とされる。「油自体も、昔から洋の東西を問わず、料理の大切な調味料の一つであるわけだが、それが何か舌に対する油の物理的性質に基づく作用であるか、それとも油自体の「うま味」によるものであるか不明である。油は数多くの脂肪酸のグリセリドの混合物であるから、そのうちの特定の脂肪酸のみが、特別にこのような「うま味」を感じさせる作用をもつものであるかどうかについては、以前から筆者が問題にしているのだが、誰か一々のグリセリドを分離して味わってもらいたいものと思っている。」(坂口謹一郎「「かつおぶし」の味」1964年(酒学集成5))

 一説によれば、油脂には塩味をマイルドにするという「疑似うま味」作用があるとされる。「日本では、かつては油の少ない素材が多く、しかも油をあまり使わないことに料理法の特徴がありました。そのために種々の調味料のストレートな味に「こく」を与えるために「だし」が不可欠のものとなり、うま味に対して、敏感になったという説もあります(中尾佐助)。」(大塚滋「うま味の利用と歴史」(山口静子監修「うま味の文化、UMAMIの科学」1999年))

■世界史における油脂の食文化の展開

 中尾佐助「油脂の起源と普及」(週刊朝日百科「世界の食べもの」131[1983.6.26])によれば、油脂の食文化の展開は地域別に以下のようなものであった。ヨーロッパは古来、豚脂など動物脂肪を中心とした地域であり、やがて乳脂肪の生産・保存技術の発達でバターが中心となった。植物油はサラダオイルの用途に限られて利用されている。

 インドでは、ヴェーダ時代から、脂身を利用した動物油脂は使わず、むしろ、バターを精製して作るギーを使ったフライ料理が登場している。その後、カラシナとアブラナ類を中心とした植物油も利用されるようになり、フライ料理などは高価なギーを使うことはまれになった(現代では植物性のギーが市販されている)。中国の油脂の歴史は豚脂からはじまり、のちにゴマ油やダイズ油が開発され、日本にも伝来したが、油脂の使用量が多いという特徴を持つ中国料理は、元代のモンゴル人の影響下に起こったとされる。いずれにせよ、油脂の食文化は、古い起源をもつが、一般に普及したのは砂糖と同じここ200年くらいのことである。

■油脂の食文化が普及しなかった日本料理

 「大体、植物油というものはどういうものかといったら、...脂肪、つまり動物の脂の代用品として食生活に入ってきたものなんです。したがって、動物の脂身を使う習慣のところはずうっと植物油が早く入ってくるわけなんです。日本なんかは家畜を飼ってその肉を食うということがなかったから、動物の脂を食べるということを日本の食文化は知らなかった。」(中尾佐助「植物油の文明史」(1982年)著作集第Ⅱ巻)

 明治以前「日本では料理に使う油の量は少なく、日本料理ではどんな立派な御馳走でも殆ど油をつかうことなく、つくられてきた。,,,中国料理に油が大量に常用化したのは元代からと考えられる。支配者のモンゴル族はバターを好み、従って油料理が多かった。...モンゴル人の支配は当時の東亜の文明国の食生活にかなり大きな影響を与えたようで、その前の宋では魚のなれ鮓が最盛期だったが、モンゴル人は魚に興味が無いこともあって、中国料理の中から鮓が消失し、以後復活していない。一方料理に油脂を常用する風習が強く定着し、次の明代に更に進展したと考えられる。朝鮮では一度廃絶した牛肉などの肉食が、モンゴル人の影響で復活して、現在に及んでいる。だから日本に神風が吹かず、蒙古軍がもし日本を占領していたら、日本はその時から肉食国に変わっただろうと言われている。」(中尾佐助「油脂の歴史と文化」(1985年)著作集第Ⅱ巻)

■東洋に特有の味噌醤油、魚醤系のうま味

 東洋人の味覚としては、ひとつは古代から調(みつぎもの)として使われていた煎汁(いろり)またはカツオの煮汁を煮詰めた堅魚煎汁(かつののいろり)といった海産物を利用した調味料、もうひとつは大豆を使った発酵食品としての醤油・味噌があり、日本への伝来ルートとしては、前者は海を伝っての南からの伝来、後者は中国・朝鮮を経ての伝来と見られる(坂口謹一郎「醤油のルーツを探る」1979年(酒学集成5))。「煎汁系の調味料の味は、茸の味を含めて醤や醤油味噌と同系列に属する「うま味」で、東洋人には何千年来親しみのある味だが、油と塩と乳と肉汁で育ってきた西洋人の味覚には全く新奇な異質なものであった。」(同上)モンゴルの家畜文化にも影響されなかった日本では、「だし」の料理文化が生まれ、この「だし」の化学的分析から世界に先駆けてうま味成分が日本で発見されることとなった(図録0216参照)。

■人類史上の「古代」を現代、そして未来へ引き継ぐ日本("Ancient to the Future")

 このように欧州、インド、中国など古くから家畜文化が発達した地域では、油脂の食文化が制覇していったため、一時期古代ローマで魚醤が普及したのに衰えたことからもうかがえる通り、うま味の文化は背景に追いやられることとなった。中国・東アジア、東南アジアを含むアジア一帯では、もともとは魚醤や穀醤、大豆発酵製品などが生まれ、また仏教文化の普及により肉食が制限されていたため、食文化の発展の中でうま味にスポットライトが当たる条件が成熟していった。しかし、中国北方民族の家畜文化が再度アジアに普及したため、日本においてのみうま味文化が純粋に発達していくこととなった。(日本においてお膳における箸の置き方が横なのは、中国古代と同じだという点など図録3854参照)

 先進諸国が飽食の時代に突入し、BSE問題を含め肉食文化への反省が生まれ、健康上油脂の取りすぎが問題とされる中で、魚食文化、醤油味噌、うま味、緑茶などの特徴を持つ日本食が世界的に見直されて、日本食ブームが起こっているが、これは人類が忘れていた古代の食文化を再発見する過程であるように思われる。シカゴの前衛黒人ジャズグループであるArt Ensemble of Chicagoは自らの音楽理念を"Ancient to the Future"という標語で示したが、私はこれが食文化にとどまらず日本文化が世界に貢献していく道だと思われてならない。

社会実情データから抜粋