レンダリングシステム:レンダリングとは
レンダリングの歴史
石器時代からあるレンダリング
動物副産物を再生処理して有用商品に変えるというのは、最近の技術革新ではない。石器時代の穴居人、古代ヨルダン人、イヌイット、ネイティブアメリカンなど、枚挙にいとまがないが、皆、我々よりはるかに多くの動物を食していたが、実に創造力に富んでおり、口にしない部分をライフスタイル改善に利用していた。皮や毛皮は彼らに衣類と住まいを提供し、骨と歯は武器と裁縫道具を提供した。残った脂肪は燃やして、肉を調理した。 再生利用の道を模索された獣脂は、案に違わず、レンダリングの発達を推進する主商品となった。石鹸として
ゴール人からローマ人へ、中世ヨーロッパの獣脂ろうそく・石けん製造商、さらには1950年代初頭から登場した20世紀のレンダリング業者へと、レンダリングにおける最大の経済力として受け継がれてきたのだ。古代ローマよりさらに昔の博物学者プリニウス・セクンドゥス、一般には"大プリニウス"と呼ばれた人物がいた。彼は山羊の脂肪と木灰から造る洗浄化合物について記述している。つまりはこれが石けんの最初の記録、ひいては、動物脂肪を煮溶かして油脂を得るレンダリングの最初の記録ということになる。■石鹸とろうそく
ローマ時代には、石けんは身体を洗浄する手段として、また、薬品として記述されている。西暦800年頃には、"錬金術の父"として知られるアラブの化学者ジャービル・イブン・ハイヤーンが、洗浄の有効な手段として、石けんのことを何度となく記述している。石けんの用途は、1800年代半ばに洗濯用品となるまで、毛髪と身体の洗浄のみに限られていたようだ。 ここで重要なのは、石けんは最終的に、動物油脂(牛脂)から製造される主製品となったものの、19世紀後半までは本質的には副産物であったと理解することだ。ろうそくは照明という深刻な必要に迫られて開発された。牛脂は初期のろうそくの主原料であったから、牛脂に対する需要はレンダリングの発展に多いに貢献した。しかし、ディッピング法にしろ、型を使うにしろ、牛脂では"まずまず"のろうそくしか作れなかった。そこで、世の常として、一般に用いられている成分に代わる優れた代替製品を見つけ出すための熾烈な競争が起こった。こうして、蜜蝋が牛脂に取って代わり、それをパームオイルが追い越し、ついにパラフィンワックスにたどり着いたのである。先に述べたとおり、石けんは最終的に、牛脂から製造される主製品となった。フランスのマルセイユで造られる石けんは最上級で、石けんにはすべて、品質にかかわりなく重税が課せられていたため、富裕層のみが手にできる商品だった。税がかからなくなって中流階級にも行き渡るようになると、需要が大きく伸びて、レンダリング作業の高度化が進んだ。 世界の石けん産業とレンダリング産業は100年余にわたり、足並みを揃えて成長を続けた。石けん製造業者が牛脂を石けんの主原料として使用したからである。高品質の牛脂は化粧石けんに使用され、品質の劣る牛脂からは安価な棒状石けんが、そしてついには洗濯用フレーク石けんが造られるようになった。
合成洗剤の登場
ところが、1950年から1965年にかけて、レンダリング産業を悪夢のような時代が襲う。1950年代半ばの合成洗剤の登場がレンダリング業者に大打撃を与えたのだ。実を言えば、合成洗剤(主にリン酸塩の使用が基盤となった)は石けん業界の研究の所産だった。研究の目的は、硬水に天然粉石けんを使用する場合の問題が深刻さを増していたため、その打開を図ることにあった。洗濯物にどうしても残りがちで、洗うたびに溜まっていく石けんかすを無くしたいという思いが、研究の発端であった。 牛脂使用のピークだった1950年、米国のレンダリング業界は石けん製造業者に約50万トンの油脂を販売していた。このピークから、2000年にはおよそ6万5千トンという数値まで激減した。そして近年では、粉末石鹸は合成洗剤系へ、また固型の化粧石鹸も植物油(パーム油)石鹸が主流となり、牛脂は最高級化粧石鹸向けに使用されているというように大きく変貌した。